2009年 11月 17日
絶望、、そもそも感情とは? |
どん底を味わった人にしかわからない、幸せ。
幸せのカタチに嘘も本当もないけど、そんな幸せを感じられる人は美しいと思う。
一方、醜い自分は、酷く日々を呪っている。
毎朝、当たり前の朝がやってくる、無痛の苦痛の日々。
半ば自覚的に、自分をすり減らしている。
無自覚的に、享受してきた幸せは、あまりに脆く、如何に儚ないものだったということを思い知る。
脳内に大きな空白を意識するようになった。その空白は、時に海になり、全ての感情を飲み込み、時に壁になり、自己防衛的な精神の解放を妨げている。 もう、まともな振る舞いをしてかわしたり、身の回りのあらゆる情報をキャッチした時の微細なショックに耐える力も残されていない。
今、駅の入り口に立ち、ケータイの画面上に目を伏せ、人の往来を感じている。足音、雨音、傘を開く音、閉じる音、雨粒を払うために、バサバサとやったり、コツコツと傘で床を叩いたり。朝の通勤、雨、というキーワードの枠内で機械的な人の振る舞い。
突然、ガタっと音がして、エスカレーターがとまる。それでも、人は気付かずにエスカレーターの方に流れる。
ガタガタと言わせながら、止まったエスカレーターを登る人たち。駅員が来て、動かすと、また何事も無かったように、流れだす。一瞬、人間的な意識が介入したのは、まさにシステムのエラーした瞬間だった。
感情とは、人間という、完璧なシステムの中ではエラーのようなものなのかもしれない。
そのことを自覚すると、気持ちは幾分か軽くなり、僕は、傘を広げて、流れに沿って歩き始めた
顔を上げた時は、人の表情がいつもよりも、軽く見えたものだった。
幸せのカタチに嘘も本当もないけど、そんな幸せを感じられる人は美しいと思う。
一方、醜い自分は、酷く日々を呪っている。
毎朝、当たり前の朝がやってくる、無痛の苦痛の日々。
半ば自覚的に、自分をすり減らしている。
無自覚的に、享受してきた幸せは、あまりに脆く、如何に儚ないものだったということを思い知る。
脳内に大きな空白を意識するようになった。その空白は、時に海になり、全ての感情を飲み込み、時に壁になり、自己防衛的な精神の解放を妨げている。 もう、まともな振る舞いをしてかわしたり、身の回りのあらゆる情報をキャッチした時の微細なショックに耐える力も残されていない。
今、駅の入り口に立ち、ケータイの画面上に目を伏せ、人の往来を感じている。足音、雨音、傘を開く音、閉じる音、雨粒を払うために、バサバサとやったり、コツコツと傘で床を叩いたり。朝の通勤、雨、というキーワードの枠内で機械的な人の振る舞い。
突然、ガタっと音がして、エスカレーターがとまる。それでも、人は気付かずにエスカレーターの方に流れる。
ガタガタと言わせながら、止まったエスカレーターを登る人たち。駅員が来て、動かすと、また何事も無かったように、流れだす。一瞬、人間的な意識が介入したのは、まさにシステムのエラーした瞬間だった。
感情とは、人間という、完璧なシステムの中ではエラーのようなものなのかもしれない。
そのことを自覚すると、気持ちは幾分か軽くなり、僕は、傘を広げて、流れに沿って歩き始めた
顔を上げた時は、人の表情がいつもよりも、軽く見えたものだった。
by tesseta3
| 2009-11-17 08:02