2009年 03月 18日
田舎者??イケテナイ??ポストグローバリズム、ポストポストモダンの社会を見つめるカントリーマンだ。 |
日本という環境大国にいると、この環境は当たり前に得られたものだと思ってしまう
しかし、数十年前までは、日本にも公害病があり、今もその後遺症に苦しんでいる人がたくさんいる
カンボジアの病院では、列が強い日差しの中、日陰もない屋外へと続いていた
今回のアジア旅行で改めてそのことを感じた
警察官、軍人、役人の堕落、強烈な貧富の差
日本では当たり前とされていることが当たり前でない
この美しい環境、病院の待ち合い室に入れることさえ当たり前ではない
この国の生活も、国際的な信用も
先人が勝ち取ったのであって、誰かから与えられたものではない
知識としての民主主義はあっても、自覚はない国、日本
改めて、自分に与えられた権利と、義務と、自由と、責任について考える
市民としての自覚を持つ
人をしっかりと見ること
社会をしっかりと見るということ
おかしいことに対して、おかしいという意思表示をすること
疑うこと
自らの目で見て、自分で考えること
人が係わったものには、何一つ当たり前のことなどない
常識となっているような事にも突き詰めれば意図が見え隠れする
企業がかわり、地方自治がかわり、地域がかわり、教育がかわる
教育が一番大事で、教育が変わらない限り人が変わらないなんていうのは間違いだ
社会が変わらなければ、教育は変わらない
教育は、社会から始まる
社会は、個人から始まる
現状の問題に対してばかりに気を取られた教育は本当の教育とは言えない
将来世代への夢を育てる場である教育が目先の利益に左右されている状態では、
教える内容以前の問題だ
子供たちは、授業の内容以上に、その風土から多くを学ぶ
教師の人間性から大人というものを考える
何を教えるべきかは教育者の独断だけでは決められないはずだ
教育者は教えることのプロであって
それ以上でもそれ以下でもない
自分には何ができるだろう
自分の果たすべき仕事とは
ドラッカーが生きていればなんて考えてしまうが
ドラッカーの教えを上田先生から学んだ僕らのような世代の責任は大きい
しかし、数十年前までは、日本にも公害病があり、今もその後遺症に苦しんでいる人がたくさんいる
カンボジアの病院では、列が強い日差しの中、日陰もない屋外へと続いていた
今回のアジア旅行で改めてそのことを感じた
警察官、軍人、役人の堕落、強烈な貧富の差
日本では当たり前とされていることが当たり前でない
この美しい環境、病院の待ち合い室に入れることさえ当たり前ではない
この国の生活も、国際的な信用も
先人が勝ち取ったのであって、誰かから与えられたものではない
知識としての民主主義はあっても、自覚はない国、日本
改めて、自分に与えられた権利と、義務と、自由と、責任について考える
市民としての自覚を持つ
人をしっかりと見ること
社会をしっかりと見るということ
おかしいことに対して、おかしいという意思表示をすること
疑うこと
自らの目で見て、自分で考えること
人が係わったものには、何一つ当たり前のことなどない
常識となっているような事にも突き詰めれば意図が見え隠れする
企業がかわり、地方自治がかわり、地域がかわり、教育がかわる
教育が一番大事で、教育が変わらない限り人が変わらないなんていうのは間違いだ
社会が変わらなければ、教育は変わらない
教育は、社会から始まる
社会は、個人から始まる
現状の問題に対してばかりに気を取られた教育は本当の教育とは言えない
将来世代への夢を育てる場である教育が目先の利益に左右されている状態では、
教える内容以前の問題だ
子供たちは、授業の内容以上に、その風土から多くを学ぶ
教師の人間性から大人というものを考える
何を教えるべきかは教育者の独断だけでは決められないはずだ
教育者は教えることのプロであって
それ以上でもそれ以下でもない
自分には何ができるだろう
自分の果たすべき仕事とは
ドラッカーが生きていればなんて考えてしまうが
ドラッカーの教えを上田先生から学んだ僕らのような世代の責任は大きい
by tesseta3
| 2009-03-18 13:48